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カップリング通信3 五稜郭と鹿鳴館

こんにちは。男性用水着売り場のマネキンって、イイですよね。夏は暑くて汗をかくし日焼けするから大嫌いですが、水着売り場で悶々できるところだけは気に入ってます。

さて、今回は建物です。本当は「五重塔(興福寺)×雷門(浅草寺)」がよかったんですけど、なぜか却下されちゃいました。五重塔(五重攻め)×雷門(風神・雷神受け)とか、相当イイと思うんですけどね。


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【スペック】
・五稜郭
北海道函館市内
当時の正式名称は亀田役所土塁(柳野城)
星形

・鹿鳴館
内山下町の旧薩摩藩装束屋敷跡(千代田区内幸町の大和生命ビルが建っている辺り)
建築費:14〜18万円(現在の40億円くらい)。
パーティー会場

【考察】
五稜郭とは、江戸時代末期に造られたフランスの城を参考に設計した西洋式の城郭です。星形をしています。総面積は74,990坪で、当初は防衛力の強化と役所の移転問題の解決の為に建設を計画したのですが、次第に目的が国家の威信に変化したようです。
そもそも城とは、堀や垣をめぐらして内外を限り、敵の攻撃を防ぐ建造物(大辞林 第二版)なんですね。戦闘拠点でもあるようですが。しかし五稜郭が完成した当初は、大砲が設置されていなかったようです。防御・戦闘の拠点であるはずなのに……これがノーガード戦法ってやつでしょうか? 簡単に背後を取られてしまいそうです。また、戊辰戦争の際に、榎本武揚・土方歳三ら旧幕府軍によって占領された場所として有名ですね。旧幕府軍という大勢の男性による場内(なか)への侵入を許したって事ですね、わかります。その後、開拓使本庁が札幌へ移転することになり、その資材として大半が解体されてしまいます。現在は城の堀(星型)のみが残っており、敷地内には公園や五稜郭タワーが建てられています。まぁ地方自治体による観光地化レイプはよくあることです。


鹿鳴館とは、明治時代に造られた外国から来た偉い人や外交官を接待するための社交場です。ダンスパーティーするようなところですかね。
外務卿(今で言う外務大臣)の井上馨が、不平等な条約を改正するために日本が文明国であるとアピールをする目的で建設されました。ずっと日本のターン! と言わんばかりの勢いが感じられます。当時、諸外国には極東の○人国家とでも思われていたのでしょうか。イギリスから建築家を呼び寄せ、本格的な西洋建築物の建造を目指したようです。レンガ造り2階建てで1階に食堂、談話室、書籍室など、2階が舞踏室で3室開け放つと100坪ほどの広間に。バーやビリヤードもあるなんてハイカラ! しかし、建築家のハイセンス(むしろ勘違い)によって西洋建築にインド・イスラムの建築要素が取り入れられ、ちぐはぐなデザインだったために評判は宜しくなかったようです。舞踏会を開いて来賓にアピールするもpgrされるだけで効果はなく、目的であった条約改正も進まなかったようです。非常に残念な感じですね。この残念な鹿鳴館は売却、解体されています。無常。


【結論】
鹿鳴館(ヘタレ攻め)×五稜郭

鹿「ボク、またちぐはぐって言われたんだ……」
五「またかよ! だいたいダンスで外交て。そりゃあ売り飛ばされるわ(笑)」
鹿「そう、だよね……。えへ、しかもボク、来月バラバラにされることになったんだ」
五「えっ……!?」
鹿「これで、近所の子どもたちの遊び場が増えるね……」
五「そ、そんなコト言うなバカッ! オレは、オレはお前を──」
鹿「やめて! もう何も言わないで! 今はただ……、ただこうしていたいんだ……」
五「鹿鳴館…………」
鹿「五稜郭クン………」
五「ろくめ……ングッ………キ、キツ……アァッ……!!」


死ぬ時は畳の上で 中條ゆみ(仮名)

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