interview

水木一郎

今「ブロロロローン!」「ズババババーン!」「ゼーット!」など熱い雄叫びで
僕らの胸を高鳴らせてくれる
アニメソング界の帝王・水木一郎アニキ
そんなアニキにも人生の道に迷い、思い悩んだ時代があったという
紆余曲折を経て自分の道を見つけたアニキの人生とは――

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――水木さんが歌手になろうと意識しはじめたのはいつ頃からなんですか。

 歌手を意識したのは5歳からですね。お袋がジャズ好きでずっとレコードをかけていたもんだから、自然とそういう音楽に触れていたんですよ。それからラジオなんかも聴くようになって、外国放送の電波をキャッチして向こうのポップスやロックを聴いたりしてました。

――じゃあ、小さい頃から音楽一直線だったんですね。

 ところが、中学生の頃は古典落語をやってたんです(笑)。慰問グループを作って老人ホームで落語をやったりして、でも落語だけじゃ時間がもたなくってね。それじゃっていうのでギターを練習して、おじいちゃん、おばあちゃんの知ってるような懐メロを10曲くらい覚えたのかな。

――とにかく人前で何かをやりたいっていう気持ちがあったんですね。

 それはあったね! それから高校生になり、新宿ACBっていうジャズ喫茶にライブを観に行くようになったんですが、「いつか絶対にこのステージに立ってやる!」って思って本格的に歌手の道を目指すようになりました。
 でも当時はそんなにやすやすレコードを出せるような時代じゃなかったんですよね。歌手になりたかったら作曲家の先生のところに弟子入りするか、バンドの付き人になるとかしなきゃならなくって。それで俺も一時期、ザ・ドリフターズのバンドボーイをやっていたんです。今のメンバーは、いかりや長介さんと加藤茶さんくらいしかいない時代だったんですが、その時のバンマス桜井テルヲさんの薦めで新宿にあったジャズ喫茶「ラ・セーヌ」のオーディションを受けて、「僕のマシュマロちゃん」っていうアメリカの曲を歌ってグランプリを取ったんですよ。

――それからレコードデビューとなるわけですが、最初は普通の歌手だったんですよね。

 いわゆる歌謡曲の歌手でしたね。最初にもらった曲が、当時流行ってた、女の子がキャーって言いそうな感じの「くちづけ」っていう歌と、カンツォーネ風の「君にささげる僕の歌」っていう歌だったんですが、「どっちを選ぶ?」って聴かれて「君にささげる僕の歌」の方を選んだんですよ。でも派手な曲ではなかったから全然売れなくってね。でも、その時「くちづけ」を選んで、ちょっとの間でもスターになってたとしたら今の自分はなかったろうなとは思いますね。そこで売れなかったからこそ、自分で独自の道を選んだんでしょうね。

――そこからアニメソングの歌手になるまでにはどういう経緯があったんですか。

 一応、5枚レコードを出したんですが、どれもあんまり売れなくってね。それで歌謡曲は辞めようという決心をしたんですよ。

――「これじゃ食っていけない」と思ったんですか。

 それもあったし、作曲家にもなりたかったんですよね。自分としてはずっと音楽の世界で生きていきたいと思っていたので、そのためには作曲じゃないかと。歌は無個性人間だというのが分かっていたからね。演歌が流行ってるような時代だったので個性がないとダメだったんです。

――えっ、水木さんはものすごい個性があるように見えますけど。

 それが、当時は全く個性がなかったんですよ。こぶしを回してうなるような歌唱法じゃなきゃダメで、綺麗に歌ってるだけじゃ売れなかったの。でも演歌を歌うつもりはなかったし、書きためていた曲もあったしね。
 そんなことをやってる頃に、ある芸能ニュースで俺の歌っている映像が流れたらしいんですが、それをコロムビアのディレクターが偶然観ていて、「アニメの主題歌に彼はどうだろう」っていう話が出たんですよ。でもその頃、俺はもう歌手を続けるつもりはなかったから、自分が作った曲を数十曲持っていったんですけど。

――ああ、もう完全に作曲家っていう頭になっていたんですね。

 まあ、歌いたくなかったって言ったら嘘だと思いますけど、ちょうど歌手をやることがイヤになってる時期だったからね。でもそのディレクターに「曲はいつでも書けるから、今は歌をやった方がいいんじゃない? 君にすごく向いてる歌があるんだ」って言われて。それがアニメ『原始少年リュウ』の主題歌だったんですよ。

――それまでの方向性とは違う、アニメソングを歌うっていうことに対して抵抗はなかったんですか。

 いい曲だったからね。それに、昔から映画音楽をやりたいと思っていたから、「テレビアニメの曲も映画音楽も一緒だろう」って思ったんですよ。
 その時に、「アニメソングだからレコードのジャケットに顔は出ないけどいいかい?」って言われたんですが、当時は歌手としての気持ちを捨てていたから「全然いいですよ」って。でも、いざやりはじめたら「何十万枚もレコードを売ってるのになんで評価されないんだろう」って思うようになりましたね。

――確かに子供の頃、アニメを観ていても、その歌を誰が歌っているかなんて意識したことはなかったですね。

 そうなると、ちょっとおかしいんじゃないかって思っちゃうんですよ。宣伝マンは「水木さんのおかげでこのビルの柱が何本も立ちましたよ!」なんて言ってたけど、「その割にはデビューしたばっかの新人よりも扱いが悪いんじゃないの?」ってね(笑)。これは変えなきゃいけないと思いましたね、同じ歌手なんだから。それで俺の正義心がメラメラと湧いてきて、「レコード店の端っこにあるアニソンコーナーをドーンと前に持ってこよう!」とか「アニソンコーナーじゃなくて水木一郎コーナーを作ろう!」という気持ちでやってきました。……そんなにすぐには実現出来なかったですけどね(笑)。

――その頃から熱いアニキだったんですね!

 まあ、熱いのは中学生の頃からだからね。それこそ老人ホームの慰問をしたりとか、風紀委員をやってたくらいだから。歌手になってなかったら落語家か警察官になってたんじゃないかと言われていたんですよ(笑)。

――そういう熱い心があるからこそ、正義の味方が出てくるアニメソングっていうのが合ったんじゃないですか。

 そうですね、自分の道を暗中模索してた無個性人間が「ここだよ!」って思えた場所がアニメ・特撮ソングの世界だったんですよ。声質も合ってたんだろうし、そういう正義感とか熱さっていうのもピッタリだったんでしょうね。
 そうやってアニメソングによって「自分」を発揮できるようになったんですが、考えてみればヒーローたちが眠ってた俺の個性を引き出してくれたのかもしれませんね。歌謡曲の歌手だった頃は「水木一郎」を出さなきゃいけなかったんですが、俺は無個性人間だったからそれが難しくってね。でもアニメソングの場合は自分を出す必要がないんですよ、主人公の世界を表現すればいいんだから。こんなに楽なことはないですね。

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