interview

さいとう・たかを

少し前まで「日本人は大人なのに漫画を読んでいる」と言われていたが
今やその傾向は世界中に広がっているという
日本の漫画文化が世界を席巻するほどに広まったのは
ストーリー漫画を生み出した手塚治虫氏の影響も大きいのだろうが
その漫画を大人が読むに耐える“劇画”まで進化させた
さいとう・たかをの功績もはずしては考えられないだろう
常に時代を切り開いてきた劇画家さいとう・たかをとは——

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——先生は子供の頃、かなりガキ大将的な子だったそうですけど、そういうタイプの子が漫画を描くってイメージはあまりありませんよね。

 そうですね、だいたい子供の頃って文化系とスポーツ系のどっちかに分かれるでしょ。でも僕の場合は外では喧嘩して暴れまくってるのに、家に帰ったら少女も涙するような詩を書いてたりしててね(笑)。そういう文化系のことも好きだったんでしょうね。
 絵に興味を持ち出したのは小学校四年生の時です。はしかにかかって一週間くらい寝かされてたんで、もう退屈で退屈で絵を描いてたっていうのが最初ですね。それから色々な絵を描くようになり、通信教育で挿絵の勉強をしたりもしてたんですよ。

——絵を描くところから、物語性のある漫画に興味が移ったのはどういう経緯だったんですか。

 もともと漫画は好きで読んではいたんですが、当時の漫画っていうのはいわゆる風刺・お笑いの世界でね、だから自分で漫画を描こうという気はなかったんですよ。私はすごい映画マニアだったんで、どっちかと言うとドラマをやりたいと思っていたの。その頃にちょうど手塚(治虫)先生たちが出てこられて、ストーリーのある漫画というのを知り「これは面白いぞ」と。だから、言うなれば紙の上で映画を作りたかったんですよね。
 同じ頃にアメリカの10セントコミックにも出会いまして。やっぱりあっちのコミックは日本にずっとあった漫画とは違う世界の物でしたからね。ドラマを見せる絵の世界っていうのがあるんだと思って非常に面白いと思いました。

——それから本格的に漫画を描くようになり、やがて「劇画」というものを立ち上げていくわけですが、そんな先生もデビュー当初の絵柄は手塚先生のタッチに似せていたそうですね。

 漫画好きの友達が「手塚先生のようなタッチじゃないと受け入れてもらえないぞ」って言ってたんですよ。だから一生懸命真似して描いたんですけど、周りからは全然似てないって言われてました(笑)。まあ、はじめて描いた、まとまった作品を出版社に持ち込んでデビューということになれたんでラッキーでしたね。
 その出版社が貸本漫画の日の丸文庫という所だったんですが、貸本屋向けの漫画と出会ったことも、この世界でやりたいと思った理由のひとつですね。というのも、日の丸から出ている漫画ってすごく斬新だったんですね。当時、少年雑誌に載っていた漫画っていうのは完全に子供向けだったんですが、貸本屋向けの物は、子供から大人への途中にいる人たちに向けたものだったんですよ。
 私はこの仕事は将来、大衆小説と肩を並べられるようになると思ってましたから、最初っから青年向けのコミックというものを目指していたんです。

——それから青年向けの漫画を立ち上げようと考えた若手で「劇画工房」を発足するわけですね。

 そういう仲間が8人集まって、まず最初にやったことが「名称を変える」っていうことだったんですよ。当時はドラマ性のある漫画のことを「ストーリー漫画」とか「漫画物語」と呼んでいたんですが、私はその「ストーリー漫画」という呼び方にピンときていなかったんですね。漫画っていうのは完全な固有名詞だから、ストーリー漫画っていう呼び方はかつて映画が「活動写真」って呼ばれてたようなものじゃないかと。

——まだ過渡期にある名前というイメージがあったわけですね。

 だから、もう新しい名前で呼んでやってもいいんじゃないかということで考えたのが「劇画」だったんですよね。しかしその「劇画工房」も一年ももたずに解散してしまったんですよ。というのも、私は本当はこの8人でプロダクションをやりたいと考えていたんです。
 だって映画作るのと一緒なんですよ、この仕事。そんなのひとりじゃやれないですよ。でも当時の描き手は全部持っている人じゃなければダメだったんですね、映画で言えばチャップリンみたいな人ばっかり求められていたの。

——ああ、監督もやれて演技もやれて、みたいな。

 そんな世界じゃないだろうと。それよりも、それぞれの才能を持ち寄ったらもっと完成度の高い物が出来るはずだと一生懸命説いてたんですけど、当時はまったく相手にされませんでしたね。やはり「本質的にはひとりでやる仕事だ」みたいに考えていたみたいですね、みんな。

——芸術家的な考えの人が多かったんでしょうか。

 これは私の持論なんだけどもね、芸術と大衆読み物の一番の違いって何かというと、本来の芸術ってそれを好む人たちだけに見せ、売っていくものなんですね。だから芸術って当然、中身を分かっててお金を出すんですよ。
 ところが我々の世界や映画っていうのは、先にお金を取ってから見せるわけですね。ということは最低限お金を出してくれた分の満足度がないことには通用しないわけですよ。お客さんを満足させられないっていうのは職業としては邪道じゃないですか。それは芸術云々とかいう以前の問題だから。
 もちろん作品を作るからには、作者の意識とか考えっていうのは出てきますわね。でもそれは満足させた次の段階の話なんだって私は言ってたんですけど……周りからは「邪道だ」って言われましたね(笑)。

——そして「劇画工房」で出来なかった理想を実現しようと作られたのが、現在の「さいとう・プロダクション」ということなんですか。

 ……と、思ってたんですけど、結局出来ませんでしたね。本当はプロダクションにして核分裂を起こしたかったんですよ。核というのは、映画で言うところの監督の位置なんですが、それを増やしていきたかったんですね。でもそうはなりませんでした。結局、さいとう・たかをのさいとう・プロでしかないというか……。

——さいとう先生の影響力が強すぎたということなんでしょうか。

 まあそうなんでしょうね。私自身が完全なプロデューサーになり切れていればまた別なんでしょうけど、私自身が描いてますでしょ。だからスタッフも私の元にやって来たという感覚でしかないわけですよ。

——でも先生のプロデューサー的能力は非常に高いと思いますが。

 そうかもしれませんね。だから私は描き手側の考え方よりも、売り手側の考え方の方が強いんですよ。
 青年向けのコミックを立ち上げたのにしても、当時は誰に言っても「何でそんなことをやろうとするんだ」って言われてましたから。「漫画は子供が読む物だ」という考えだったんでしょうね。
 でも、私が一番対象にしてきた読者っていうのは団塊の世代なんですよ。だって日本の人口で一番多い所なんですから。その人たちが大学生になり社会人になりってした時に、読者を逃してどうするんだっていう。そうやって必死になって説いたんですけど相手にされませんでしたね。

——当時は出版社もそこまでマーケティング出来てなかったということなんですかね。

 マーケティングというか、ちょっと考えれば分かることだと思うんですけどね。ずっと子供だけを相手にしていたら先細っていくのは明白なんだから。

——確かに、現在のように漫画が広がったのは、先生たちが大人まで読めるものを作ったからだと思います。

 そう思いますよ。だから私は今、シニア・コミックっていうのに力を入れてるんですけどね。

——ああ、まさに団塊の世代ですね。

 ずっと漫画を読んできた世代がシニアになってるということですからね。今の社会のヘッドになってる人たちっていうのはみんなその世代の人たちでしょ。政治家の麻生(太郎)さんなんかも平気で漫画ファンだって言ってるしね。
 私なんか、ずっとテロリストを描いてきたのに紫綬褒章をもらいましたからね。そんなアホなことあるかっていう(笑)。でも、それだけ社会が認め、国が認めて定着したということですよ、それを大事にしないとね。

……以下、さいとう先生の劇画家人生最大の苦悩の話や、最近の漫画家、若者に対する提言など読み応え満点のロングインタビューは『ルーフトップ★ギャラクシー』本誌にてチェック!

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