interview

伊集院光

 テレビで見せる雑学知識豊富なニコヤカおデブの顔。
ラジオでの毒吐きまくり、妄想爆発させまくりのトーク。
一般の人たちとコアなファンとの間に、これほどイメージの差があるタレントもなかなかいないんじゃないだろうか。
表裏どころか、本人にも制御し切れていないんじゃないかというくらいに変化しまくる精神状態を切り取り、異次元なトークを繰り広げている伊集院光の脳みその中を探ってみた——。

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——今ではラジオとテレビ、両方で活躍されている伊集院さんですが、最初はラジオからのデビューなんですよね。

 そうですね。ただ、僕はもともと落語をやっていたので、最初はラジオとかテレビに出る気がなかったんですよ。その当時流行っていた漫才じゃなくて落語をやる、しかも古典落語をやるからにはテレビでやってるようなお笑いと一線を画さないとダメなんだ、みたいな意識がありました。……童貞時代の変に幅の狭い考え方ですけどね。
 でも古典落語をやっていく内に自分の限界っていうものもわかってきちゃって、そこに都合よくラジオのオーディション番組の話があったんでラジオをはじめるんですけど、ラジオをやってることは師匠(三遊亭楽太郎氏)には内緒だったんで「伊集院光」っていう芸名をつけたんですよね。だから伊集院光としてテレビに出るっていうのはあり得なかったんですよ。まずそういういびつな形で芸能界に入ってきたという経緯があったんですよね。

——じゃあ「ラジオにどうしても出たい」ということでもなかったんですね。

 まあ「何者かになりたい」と思っていたところに、たまたまラジオが降って湧いたようにあったというだけですね。もちろんラジオに対するこだわりは今となってはすごくあるけど、多分それは後付で沸いたもので、最初は「ラジオしかなかった」っていうのが本当のところだと思います。

——ラジオとテレビっていうふたつのメディアの関係性ってどう捉えていましたか。

 最初の段階ではラジオっていうものを知らなかったから、一般的な感覚としてテレビが一軍、ラジオは二軍だって思っていました。僕はたまたま「テレビに出ると落語の人に怒られる」っていう規制があったから出られなかったけど、普通のコースだったら、ラジオで有名になったらテレビに出るもんなんだろうって思っていましたね。
 落語を辞めてからはその規制っていうのはなくなっていたんですが、その頃にはラジオがすごく面白くなってきていたので、ラジオとテレビは別物だっていうことに気付いたんですよ。オナニーとセックスの違いというか……。童貞の頃ってオナニーを一生懸命極めていくとセックスに育つと思ってたけど、実は別物なんだっていうことに気付くじゃないですか。それと同じように、ラジオはラジオとしてテレビとは別の技術がいるもので、ラジオで有名になったからといってテレビに出るものでもなければ、ラジオで鍛えたものをテレビにそのまま持って行っても通用しないっていうことに、テレビへの挑戦権をはじめて得た頃に気付いてしまったんですよね。

——それに気付いた上で、軸足はラジオの方に置いていこう、という感じだったんでしょうか。

 それも最近わかんなくなってきましたね。テレビもラジオも、なんにも軸足は置かなくっていいやと思って……。あんまり自分で意識して軸足を置いているとか言ってるそばから嘘じゃんって思っちゃうんですよ。大抵のことって口に出していうほどは悲しくないし、面白いっていうほど面白くないじゃないですか。だから「これだ!」って言っちゃうと、もうそれは本当のことじゃないというか。
 今回の本の中にも書いているんですけど、僕が落語を辞めた大きな理由のひとつに若い頃の(立川)談志師匠の『ひなつば』っていう噺のテープを聴いて、自分の落語とのレベルの差を思い知ってノイローゼになったというのがあるんですよ。でも、談志師匠にラジオのゲストで出ていただいた時にその話をしたら「うまい理由が見つかったじゃねえか」って言われて。その当時は絶対に談志師匠の落語でショックを受けて落語を辞めたんだと思ってたし、そこに嘘はゼロなんだけど、確かに今考えると「それが100%ではないよね」って思うんですよ。そこに至るまでにいっぱい逃げたいことがあって、そこで一番格好いい言い訳を本能的に見つけてたというのは否めないんじゃないかな。
 だから、今の僕の言葉で芸風を語ることよりも、何かの病気とか事故とかでしゃべれなくなった時に「あれをしゃべりたかったな」とか「あんなことをしゃべってたな」って振り返ることの方がずっと正確なんじゃないかと思いますね。
 最近、おっさんになってエネルギーがなくなったんで大風呂敷に勝てなくなったというのもあるかもしれないけど。「ラジオに軸足を置いてます!」って言った時のプレッシャーに押しつぶされるのが怖くって、言う勇気がなくなってるのかもしれないな。

——伊集院さんって、トークでも文章でもそういう第三者目線というか、何かに没入して周りが見えなくなっている自分を冷静な目で見ているもうひとりの自分、みたいな存在が常にあるんじゃないかと思うんですが。

 そうかもしれないですね。談志師匠の話にしてもそうだけど、没入し切っていた自分を冷静に分析してしゃべったり書いたりしているってパラドックスなんだけど、半狂乱なくらい没入している自分も、後になって冷静に分析してしゃべってる自分もその両方に嘘はないんだとしたら、そんな良い狂い方はないですよね。

——その冷静な分析目線があるからこそ、色んなことから一歩ひいてしまうというか……。

 子供の頃に鍛えられた性格なんでしょうね。……イヤな子供でしたよ。みんなが没入していることよりも、常にちょっと先に行きたいと思ってる子だったんですよね。それで先頭を歩いていると思ってたら調子にのってつまづいた、みたいなこともいっぱいあったんで、「調子にのってるんじゃないぞ、没入していると転ぶぞ」っていうのがすり込まれたというか……。大きいことを追わないでいこうっていう感じにはなってきてますね。そのせいであんまりガッツのない芸人になりましたけど(笑)。

——昔から、あまりビッグな夢は持たないという感じだったんですか。

 子供の頃は、他の子たちみたいに無謀な夢を持たないようにって思いつつも、それも今考えれば十分大きな夢だったっていうのはありますね。
 たとえば、みんなが「俺は松田聖子と結婚する!」とか言ってる中、「お前らはそんなこと言ってるけど、俺は冷静だからB級アイドルでいいや」って言ってるケースってあるじゃないですか。なにが「いい」とぬかしてるんだと! それでも十分高い夢だから。そう言っていることが冷静な大人だと思っているこの童貞会話ってすごいでしょ。
 僕は今、10年後に自分がすごい売れっ子でいたり、看板番組をゴールデンでやれてたりなんてことは夢にも思わないし目標にもしないけど、「10年後にも面白い人だって思われていたい」くらいは夢を見させて欲しいとは思ってるんですよ。でも、それが過度な夢だったかどうかって後になって分かることですからね。「うわっ、10年前にはこんなこと言ってたんだ、……このホームレスのオヤジ」みたいなこともあり得るから(笑)。
 そんな、のびのびと夢を見れない性格になってしまったんですけど、その性格の功罪の「功」の方がラジオやテレビや文章として出せていたら嬉しいですね。子供の頃や学校生活の中でイヤなことがいっぱいあって、それが派生させている性格のせいで今上手くいっていないっていう人もいっぱいいると思うし、そういう側面が僕にもいっぱいあるんですけど、「功」の部分も意外にあるよっていう。僕にとって、そういう「物の見方」のみが他人に誇れることなんじゃないかと最近は思っています。


……以下、本に対する思いや、「オナニー、散歩、落語」の話など、他では読めない伊集院光のロングインタビューは『ルーフトップギャラクシー』本誌にて要チェック!

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コメント (1)

のぐち:

この人おもしろいなぁ えぇ!

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