interview

みうらじゅん

 見知らぬ街・東京で一人暮らし、「青春ノイローゼ」全開だった浪人時代。憧れの天才・糸井重里を信じ、オシャレ路線に踏み込んだテクノカット時代。若かりし日の二つの「影」の季節は、「三浦純」が「みうらじゅん」になるための通過儀礼だったのかもしれない。30年間、時代と常にズレつづけてきた男、みうらじゅんはこうして生まれた──。

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──みうらさんが東京に出て来たのは、浪人が決まってからですか?

 そうですね。一浪目、夏休みの夏期講習から御茶ノ水の美術予備校に行き始めたんですけど、みんな春から始まってるから友達が出来なくてね。さみしくってね。でもそこで知り合った女の人に、童貞喪失させて頂いたんですよ。最初は親戚の家に間借りしてたんだけど、そこのおじいさんに彼女とセックスしてんの見つかって。2年後に亡くなったんだけど、たぶんショック死だったと思う(笑)。その場ではなかったけど、じわじわと効いてたんだと思うなあ。バックでシてたんだよね。

──その現場を……(苦笑)。

 現場を見られたんですよ。高校時代の友達から夜に電話が入ったんですけど、その時はもう夢中でセックスしてたんで、ドアをコンコンってやられても気がつかなくて。それで、「じゅんちゃん電話やで」っておじいさんがドア開けた。おじいさんはオレの背中を見たんだけど、とっさの判断で深く挿れてチンポを隠した自分がおかしくて。人ってそんな時にも智恵があるんだね。

──(笑)。

 その何カ月後かに、西荻窪のアパートへ引越すことになったんですけどね。その親戚達は、実家に言わないでくれたから幸いだったんだけど、今度はアパートだから、やりたい放題になっちゃって。

──(笑)。

 もうそん時、東京に出て来た目的はセックスに変わってたから。美大なんてどうでもよかった。多摩美か武蔵美の受験前日も、女と鎌倉旅行に行ってたから。受かるわけなくてねー。当時の日記見ると、二日にいっぺんは会ってるんですよね。もう、溜まったら会ってるって感じで。その人は東京の人で、ギリギリよかったのかもね。同棲してたら、今、違う仕事してると思うわ、オレ。

──東京に来て、割とすぐ付き合い始めた?

2カ月目くらいからだと思うけどね。童貞喪失ですから、もーう、したくてしたくて。「受かった−!」みたいな(笑)。

──(爆笑)。

 美大じゃなくてこっちに受かった、みたいな(笑)。「合格ゥ〜」みたいな感じでしたよ。

──浪人時代、「自分、これで大丈夫かな」っていうのはありました?

 Hが終わったあとは思ってたんですけどね。彼女が帰ったあと、「これじゃいかん、横尾忠則さんになれない」って。そりゃなれないよ、と思いつつも、またそういう自分を書くのも好きだったんで、自叙伝みたいなのを書いてました。曲も作ってた。「東京」とか「中央線」ってタイトルで、「コンクリートに包まれたこの悲しみが〜」なんて歌ってカセットに録って、『東京荻窪アパートメントブルース』とかタイトルつけて、ライナーノーツも自分で書いて。それを読みながら夜一人で聴くのが好きでしたね。
 ブルーを表現するためには、音楽や詞がよかったんですよ。石膏像に辛ーい感じとかこめられないんで。で、二浪目の時に、「何となくそんなこと言って東京に出てきたけど、オレ、絵なんて好きなのかなあ」って思って。それはすごい悩んでた。
オレは東京に来て変わりたかった。でも、変わったのはセックス知っただけで(苦笑)、あとはなんにも変わってないってことに、二年間かかってやっと気がついた。二浪目の後半でしたけどね、もう。

(後略)

……以下、80年代の「末法の時代」ことテクノカット時代、『宝島』『ビックリハウス』でのブレイクから今日に至るまで、30年間のみうらじゅんの「キープオンでずれ続けてきた」即席を辿る続きは『ルーフトップギャラクシー』本誌にて要チェック!

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